手帳の湖

手帳にまつわる自省録

手帳と趣味と幸福感

シニア層と呼ばれる年代になると、老後の楽しみをどうするか。時間の使い方をどうしていくかについて考えることが多くなってくる。あと10数年はサラリーマンをやるだろうけれど、ついこの間まで学生だったような感覚を持つこともあるので(いまだに就職が決まったのに留年してしまう夢を見る・・!)それからするとこれからの10数年なんてあっという間だ。

余暇を楽しむのは楽しい趣味あってこそ、という気もする。趣味は自分自身が楽しめればなんでもよくて、旅行でもグルメでもスポーツでも蒐集でも人様に迷惑かけなければなんでもいい。僕はそれが手帳や文具を楽しむ、ということなのだ。

文具の趣味は学生時代以前まで遡るのでもう30数年。シニアになってから始まったものではないけれど、続ければ続けるほと奥が深い。検討して購入して使ってみても、どんどん試したいものが増えてくる。そしてその趣味の延長線上がこのブログだ。

手帳や文具以外の趣味に目を向けると、推理小説や映画が趣味と言えそうだ。まぁ大抵の人が映画は好きだったりするので特徴的な趣味ではないけれど、映画館にも足を運ぶし、Netflixやアマプラも観る。このブログは”手帳縛り”なので手帳と文具以外の事にはあまり触れないけれど、手帳には”観たい映画リスト”が存在するのでそれをネタにすることもたまにある。

さて、そんな僕の趣味の代表が”手帳”なのだけれど、手帳を触っている時はとても幸せだ。ぼんやりと手帳を眺めている時だ。そして気に入った手帳を使いこなしている自分が好きなのだ。そう、手帳が自己の満足を満たしてくれる、最高の自己満ツールなのだ。

趣味は強制的にさせられるものではないので、飽きたり気に入らなくなったりすればやめてもいい。このブログだってある日突然飽きたらやめるかもしれない。このブログは収益目的ではないし、苦痛を感じてまで続ける理由はないからだ。

幸福感を感じる趣味でなければそもそも続かないし、面白くない。楽しくなければ趣味ではないのだ。手帳も文具も推理小説もこのブログも、好きで楽しいから続けている。