手帳の湖

手帳にまつわる自省録

手帳考

今日は書きたいことがちゃんと定まってはいないけれど、手帳の使いこなしや手帳を続けることに関してつらつらと書きたい。

手帳をうまく使いこなせない、手帳が続かない、という話を巷でよく耳にする。その原因は幾つかあるのだろうけれど、そもそも手帳をうまく使いこなしている状態、手帳が続いている状態というのはいったいどういう状態のことなのだろう。

僕自身は手帳歴30年越えなのだけれど、その30年の間には手帳は持ってるけど中身はスカスカ、予定もメモもたいして書いていないような状態の時期は頻繁にあった。めちゃくちゃ書きたいことがいっぱいあって足りない!という時期が続くと思えば、手帳開くのも億劫な感じで白紙続き。そういうのを繰り返してきている。このブログを始めてからでも白紙続きの日も結構ある。そういう状態でも「手帳使ってないな〜」とは思うものの「使いこなせてない!手帳が続かない...!」とはあんまり思わなかった。あまりそういう風に考えなかっただけなんだけど。

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ここのところ愛用しているHERMES AGENDA GM

つまりは手帳はスペースを埋め続けてうまく使いこなさないといけないものではなくて、必要な時に使うもの、と考えているということだ。毎日たくさんの文字や絵で紙面を埋めることだけが上手な手帳活用ではないと思っている。いつも肌身離さず手帳を持ち歩いているし必要な時にすぐにメモが書ける体制をとっているけれど、だからと言って「手帳をうまく使いこなしているぜ」とか「手帳続いてる...!」とは別に思わないな...。

手帳を明確に“このように使うのだ”という決めをしていてその通りに使っていないとするなら“うまく使いこなせていない”状態なのかもしれないし、“手帳を毎日ビッシリ埋めるぜ”と決めていて白紙が続くなら“手帳が続かない”と言えるのかもしれない。それはきっと目的と使い方が自分にあってないのだろう。手帳使ってストレス抱えるのはよろしくはない。

手帳はどんな使い方をしてもいいものだろうし、あまり堅苦しく考えて使っても楽しくない気もするので、使ってて自己嫌悪に陥るようだったらその手帳や手帳の使い方を一旦手離してみるほうがいいかもしれない。

書きたい(描きたい)時に書けるだけ書けばいいものだと思う。それこそ使い方によるけど誰のためのものかと言うと自分のためのものだし、白紙のページなんて気にする必要ないのだ。手帳に予定や出来事がない事と自分自身の価値がどうかなんて関連性はない。書くことがなかったか書く気にならなかったか、書く時間がなかっただけなんだから。

僕の手帳の使い方はスケジュールを立てて確認することと必要な事をメモして確認する事。必要な時に必要な事を記録する。書いて忘れて見て思い出すことで頭をスッキリさせられるのでシンプルにこういう使い方をしている。これを成り立たせるために手帳のサイズや触り心地、フォーマットなどにこだわろうと思っているわけだ。

手帳をうまく使いこなせているかどうか・・・わかんないなあ。