手帳の湖

手帳にまつわる自省録

SD手帳とハンディピック

システムダイアリーとHandypick2つを並べてみた。左からシステムダイアリースタンダードバインダー、ハンディピック本革カバー、ハンディピックビニールカバー。

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写真で見るとそこまで大きさの違いは感じられないかもしれないが、手に持つとぜんぜん違う。手に持ちやすいのはいちばん小さなハンディピックのビニールカバー。ハンディピックを触った後だとシステムダイアリーはかなり大きく感じる。

手に持ったときのフィット感・サイズ感はハンディピックの方が上だが、全体的な使い方はシステムダイアリーの方が優っている。システム手帳と差し込み手帳を比べているので使いやすさは完全に好みの問題である。

システムダイアリーの魅力は小型手帳としてのギリギリ最大化。これ以上大きいと使いにくくなるラインで一番紙面が大きいところが魅力でもある。

ハンディピックはサブ手帳として使うならかなりおすすめ。僕は手帳の併用がうまく出来ないのでシステムダイアリーをガンガン使っている今はハンディピックの出番はほぼない。(そっとカバンに忍ばせている)好きなんだけどな。

書かなきゃ、からの解放

お題「私がとらわれていた しなきゃ」

僕がかつてとらわれていたのは「毎日手帳書かなきゃ」だ。

このブログは手帳にまつあるあれこれを綴るブログなのでお題に関しても手帳に関わる内容で攻めていこうと思う。

手帳の使い方は、ほぼ日手帳の登場以降(と、勝手に思っている)、元々のスケジュール帳という役割を超えていろいろな使われ方をされている。使い方はユーザー次第、だ。僕は過去も今現在でも基本的にはスケジュール&メモ主体の使い方をしていて、常にちょこちょこ何かをメモしている。今でこそかなりラフに殴り書きをして心に余裕が生まれる雑な運用ができているが、昔は違った。手帳の白紙ページが怖かったのだ。

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1日1ページのフォーマットであっても、ウィークリーのフォーマットであっても、文字で埋め尽くさなければ手帳活用ができていない、もったいない使い方をしている。そう思い込んでいた時期があった。あまり書くことがないと感じられてスケジュールページが空欄である日が続くと、自分自身の予定のなさや書くことになさについて次第に「手帳を持つ必要ないのでは」に始まり挙句の果てには「こんな毎日書くことがない自分は人としてしょうもないのでは?」みたいなネガティブ思考に陥ることもあった。実際は手帳のページが埋まらないことと自分自身の価値はなんにも関係がないのだけれど。

それでも手帳は好きなので、あの手この手で新しい手帳運用を考えたりなんかして頑張って活用しようと躍起になっていたけれど、ほぼ日手帳と出会って「書けない日があってもいい」「白紙のページが続いても大丈夫」ということに気付かされた。書きたいことがないのに無理に書く必要はないし、書けない日が続くというのも一生続くわけではないので、また書きたいことができたら書けばいいよね。と思えるようになってから、手帳との向き合い方がかなり楽にラフになった。肩肘張る必要なんてないし、人に見せるもんでもないので自由にすればいい、と。

気持ちが楽になれば心に余裕も生まれる。手帳活用のルールもガチガチのルールで運用することはやめて、最低限のルールだけでやや適当に活用することに決めてから、逆にあれこれ書きたくなることが増えた。天邪鬼なのかなんなのかわからないけれど、「書かなきゃ」から解放したら「書きたい」に変わった。

また、SNSの普及によっていろいろなユーザーの活用方法がシェアされる世の中になったのも、既成概念をぶっ壊す外脳の拡張に役立っていると思う。人様の手帳活用方法は面白いし参考になる。見ていて楽しいし。

今では、ぎっしり書き込んでいる日もあれば、白紙の日もある。そしてそれを気にしていない。書きたい日も、書けない日もあっていい。

 

 

黒い手帳

手帳もいろいろあるけれど、色味で言えば一番オーソドックスであろう、黒系が一番好きだ。無難だと言われると確かにそうかもしれないが、合わせやすさで黒が好きなのではなくて黒い(革の)手帳に対する憧れから黒好きになっている。憧れの黒い手帳はfILOFAXのWinchesterだったり能率手帳ゴールドだったり。

少しお高めの手帳にも手が出せる年齢になったけれども、今も黒いfILOFAXのWinchesterは憧れのままで、おそらく今後手に入れることはないだろう。能率ゴールドは数年に渡って堪能したけれど。(ちなみに、赤いWinchesterは持っている)たぶん手に入れないと書いているのは、現時点でバイブルサイズの手帳に戻ることはないと考えているからだ。使う想定のない手帳をコレクション的な目的で手に入れることはない。

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HandyPick×SD手帳。

どうして黒い手帳に憧れたのかは自分でもあんなりわかってないけれど、単純にかっこいい、と思う。今まで使った手帳のほとんどが黒い表紙だ。黒じゃなきゃダメ!と思っているわけではないので黒以外の手帳を手に入れて使うことはあるけれど、(現にシステムダイアリーのSDフラッグシップバインダーはコニャックという茶色を所有している)なんやかんやで黒に戻る。黒と金の仏壇カラーは大好物。

 

手帳の断捨離

今日は午後から部屋の片付けを行って、色々なものの断捨離を決行した。

一番お片付けをしたのは”本”。最近は専らKindleで読書しているので、どうしても手元に置いておきたい本以外は思い切って処分することにした。ブックオフ行きだ。こんまりさんよろしく、トキメクかどうかで仕分けして、かなりの本とお別れをした。

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SD手帳は断捨離対象外

僕は特にミニマリストを目指しているわけではないけれど、持ち物はさほど多くはない方だとは思う。服を除くとたぶん現在は無印のプラ収納ケース2個分ぐらいしかない。それでも気がつくとなんだかんだで身の回りのものが増えていくので、定期的に減らす動きをしている。特に息子が産まれてからは自宅内のスペースシェアをかなり奪われたのでどうしても省スペース化しないといけないのだ。父親として家の中での居場所がない、というよりは物理的スペースの割り当てが少ないのだ。

特にコレクションしているものも、そのつもりもないのだけれど、結果的に収集してしまっている手帳も今回の断捨離のターゲットに入れている。綴じ手帳は、過去の思い出が書き込まれているので処分しづらいのだけれど、システム手帳のバインダーはもしかしたら次の手帳愛好家へお譲りできるものもあるかもしれない。そういった気持ちで引き続き所有するべきかどうか考えながら選別した。

こんまりさん方式で行くとどの手帳にもときめいてしまうので、今後きっと使わなさそうなシステム手帳(特にバイブルサイズ)を断腸の思いで選んでいくつか手放すことに決めた。手放すのがあまりにつらいのならば手放す必要はないのだけれど、そもそもコレクション目的ではなく、ガンガン使うつもりで買っているものばかりなので使わないものを持っておく必要ないよね、という考え方は一応理にかなっている。

手帳を片付けていて改めて思ったのは、毎年コロコロ手帳を変えていると、手帳の大きさやフォーマットが違うので保管しにくいし、あとで思い出が振り返りにくいなーということ。4年連続で能率手帳ゴールドを使っていた頃があったけれど、過去全て能率手帳ゴールドだったら保管しやすくて振り返りやすいのに。桐の箱に入れてみたい気もする。

飽き性なので今後も一つの手帳に絞るのは多分無理なのだけれど、もし現在活用3年目のシステムダイアリーが能率手帳ゴールド以上に長続きすれば、思い出の振り返りはしやすく、さほど嵩張らずに保管できるだろうな。

システムダイアリーのバインダーはどれもローテーション化していて今後もつかうので、もちろん断捨離対象外。相変わらず快適に使うことができている。

※昔の手帳の中身を読み出すと止まらなくなる。時間がいくつあっても足りないわ...。

 

 

快適スタンダードバインダー

スタンダードバインダーが快適だ。ここ数日はシステムダイアリーを最初に購入した時のバインダーとペンの組み合わせ、「スタンダードバインダー」とジェットストリーム3色ボールペン。初心にかえって、という訳ではないけれど、細かいことは気にせずに使えるビニール製バインダー且つ180度パタンと開く使いやすさ。ジェットストリーム3色ボールペンもクリップ部分がシステムダイアリーのドライバーズポケットにジャストフィットで使いやすい。書き心地はやや滑り気味なので1番好きという訳ではないけれど、気兼ねなく使えるメリットが大きい。

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やっぱりバインダーの色違い買おうかな。

 

孤独と向き合う

孤独、とは何か。

以下、Wikipediaより抜粋転載。

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孤独(こどく、英: solitude)とは、精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。

「自分がひとりである」と感じている心理状態を孤独感(loneliness)という。

たとえば、物理的には大勢の人々に囲まれていても、自分の心情が周囲の人から理解されていない、と感じているならば、それは孤独である。当人が、周囲の人たちとは心が通じ合っていないということに気付いていれば孤独である。たとえ周囲の人々の側が、その人と交流があると勝手に思っていても、当人が、実際には自分が全然理解されていないと気付いていれば孤独である。

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なるほど、自分が独りきりである、と心情的に感じていればそれを”孤独”と呼ぶらしい。

僕は仕事上ではたぶん愛想のいい方で、一見社交的に見られがちなのだけれど、実際は一人で行動することが好きで、親しい友人といつも一緒にいたい、と思うタイプではないし、実際にランチも一人で行くし、お酒も飲まないので夜飲み歩くこともない。つまり社交的ではない。一方孤独を感じているかというと、家族もいるし友人がいないわけでもないのでとくにWikipediaに書かれているような孤独感を感じている状態ではない。

手帳と向き合う時間が大切

一人で行動するのが好き、というのは手帳好きに繋がるのかもしれない。手帳と向き合っている時間は他人との繋がりはなく、自分自身と向き合っている時間だ。この時間、孤独を感じるということはないが、自分がひとりであるという感覚は、ある。手帳に何かを書き込むとき、自分と対話しているような感覚に陥るときがある。スケジュールを書き込んでいる時にはそんなふうに感じることはないが、自分の考えや思いを紙面にぶつける時、僕自身は独りなのだ。ただこの孤独は寂しさというよりも、自分を理解しているのは自分だけなので、その自分自身と向き合って物事を整理したり考えを進めたりする。一番頼りになるのは自分自身だ。そんな感覚。

書いててよくわかんなくなってきたが、手帳を通じて自分自身の内面を見つめて曝け出す。誰にも邪魔されずに1番の理解者であるはずの自分自身との対話。それは孤独と向き合っている、とも言えるのかもしれない。という事を書きたかった。

そしていちばん書きたかったのは「手帳と向き合う時間はとても大切である」ということ。

in 竹下通り

先日、かなり久しぶりに原宿の竹下通りに行った。表参道は時々行くことがあるけれど、竹下通りは本当に久しぶり。

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なんだこの人混みは。

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なんだかソウルの明洞を彷彿とさせる雰囲気。

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ジャガイモを螺旋状にくり抜いて揚げたやつ(トルネードポテト?)を食べた。これは韓国発なのかな?

原宿の街ぶらも、息子のリクエスト。しっかり手帳の行きたいところリストに書いてあったので今回行くことになった。

リスト化だいじ。