手帳の湖

手帳にまつわる自省録

孤独と向き合う

孤独、とは何か。

以下、Wikipediaより抜粋転載。

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孤独(こどく、英: solitude)とは、精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。

「自分がひとりである」と感じている心理状態を孤独感(loneliness)という。

たとえば、物理的には大勢の人々に囲まれていても、自分の心情が周囲の人から理解されていない、と感じているならば、それは孤独である。当人が、周囲の人たちとは心が通じ合っていないということに気付いていれば孤独である。たとえ周囲の人々の側が、その人と交流があると勝手に思っていても、当人が、実際には自分が全然理解されていないと気付いていれば孤独である。

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なるほど、自分が独りきりである、と心情的に感じていればそれを”孤独”と呼ぶらしい。

僕は仕事上ではたぶん愛想のいい方で、一見社交的に見られがちなのだけれど、実際は一人で行動することが好きで、親しい友人といつも一緒にいたい、と思うタイプではないし、実際にランチも一人で行くし、お酒も飲まないので夜飲み歩くこともない。つまり社交的ではない。一方孤独を感じているかというと、家族もいるし友人がいないわけでもないのでとくにWikipediaに書かれているような孤独感を感じている状態ではない。

手帳と向き合う時間が大切

一人で行動するのが好き、というのは手帳好きに繋がるのかもしれない。手帳と向き合っている時間は他人との繋がりはなく、自分自身と向き合っている時間だ。この時間、孤独を感じるということはないが、自分がひとりであるという感覚は、ある。手帳に何かを書き込むとき、自分と対話しているような感覚に陥るときがある。スケジュールを書き込んでいる時にはそんなふうに感じることはないが、自分の考えや思いを紙面にぶつける時、僕自身は独りなのだ。ただこの孤独は寂しさというよりも、自分を理解しているのは自分だけなので、その自分自身と向き合って物事を整理したり考えを進めたりする。一番頼りになるのは自分自身だ。そんな感覚。

書いててよくわかんなくなってきたが、手帳を通じて自分自身の内面を見つめて曝け出す。誰にも邪魔されずに1番の理解者であるはずの自分自身との対話。それは孤独と向き合っている、とも言えるのかもしれない。という事を書きたかった。

そしていちばん書きたかったのは「手帳と向き合う時間はとても大切である」ということ。