お題「私がとらわれていた しなきゃ」
僕がかつてとらわれていたのは「毎日手帳書かなきゃ」だ。
このブログは手帳にまつあるあれこれを綴るブログなのでお題に関しても手帳に関わる内容で攻めていこうと思う。
手帳の使い方は、ほぼ日手帳の登場以降(と、勝手に思っている)、元々のスケジュール帳という役割を超えていろいろな使われ方をされている。使い方はユーザー次第、だ。僕は過去も今現在でも基本的にはスケジュール&メモ主体の使い方をしていて、常にちょこちょこ何かをメモしている。今でこそかなりラフに殴り書きをして心に余裕が生まれる雑な運用ができているが、昔は違った。手帳の白紙ページが怖かったのだ。
1日1ページのフォーマットであっても、ウィークリーのフォーマットであっても、文字で埋め尽くさなければ手帳活用ができていない、もったいない使い方をしている。そう思い込んでいた時期があった。あまり書くことがないと感じられてスケジュールページが空欄である日が続くと、自分自身の予定のなさや書くことになさについて次第に「手帳を持つ必要ないのでは」に始まり挙句の果てには「こんな毎日書くことがない自分は人としてしょうもないのでは?」みたいなネガティブ思考に陥ることもあった。実際は手帳のページが埋まらないことと自分自身の価値はなんにも関係がないのだけれど。
それでも手帳は好きなので、あの手この手で新しい手帳運用を考えたりなんかして頑張って活用しようと躍起になっていたけれど、ほぼ日手帳と出会って「書けない日があってもいい」「白紙のページが続いても大丈夫」ということに気付かされた。書きたいことがないのに無理に書く必要はないし、書けない日が続くというのも一生続くわけではないので、また書きたいことができたら書けばいいよね。と思えるようになってから、手帳との向き合い方がかなり楽にラフになった。肩肘張る必要なんてないし、人に見せるもんでもないので自由にすればいい、と。
気持ちが楽になれば心に余裕も生まれる。手帳活用のルールもガチガチのルールで運用することはやめて、最低限のルールだけでやや適当に活用することに決めてから、逆にあれこれ書きたくなることが増えた。天邪鬼なのかなんなのかわからないけれど、「書かなきゃ」から解放したら「書きたい」に変わった。
また、SNSの普及によっていろいろなユーザーの活用方法がシェアされる世の中になったのも、既成概念をぶっ壊す外脳の拡張に役立っていると思う。人様の手帳活用方法は面白いし参考になる。見ていて楽しいし。
今では、ぎっしり書き込んでいる日もあれば、白紙の日もある。そしてそれを気にしていない。書きたい日も、書けない日もあっていい。