タイトルは大袈裟だけれど内容はいつもの感じでゆるい。
ヴィンテージものの手帳を蒐集したい、という魅惑的な誘惑にかられることが頻繁に発生する。システム手帳好きたるもの、古き良き時代のバインダーを追い求めなければ一体何が手帳好きか。
・・・さて、システム手帳は規格に互換性がある製品が多いのでというか生き残っているので、たとえばバイブルサイズのシステム手帳を使う、と決めたらバインダーもリフィルも選択肢が多いし、気分によって着替えながら使い続けることができる。バインダーもリフィルも変えてしまったらもう同じ手帳でもなんでもないのだけれども。SDはSDという小さな島国でしかほぼ生きられないのだけれど、バイブルサイズの選択肢の多さには驚かされる。やっぱりシステム手帳始める時にサイズに迷ったらとりあえずバイブルサイズを選択すれば間違いないはずだ。バイブルサイズを使ってみてからミニ6にサイズダウンするかA5にサイズアップするかを選んでいけばいいと思う。
かつてのバブル時代前後が日本でシステム手帳が最も流行った時代だと記憶しているが、ブーム後半は本革から合成皮革・コストダウン(利益確保)にステージが移ったのかその後低迷の一途を辿る。よく言われる話だけれども、たとえばfILOFAXは初期の英国製と現在の中国製(以外もあるけど)だと質のレベルが違う(ように思える)。デジタル時代に突入したこともあってアナログであるシステム手帳はその後かなり長い間マイナーな存在だ。かくいう僕も手帳歴としては長いが、途中Parmに傾倒したりしてデジタル寄りであった時期もある。というかデジタル中心というのは今もそうだけど。
ヴィンテージ系fILOFAX達。
ヴィンテージ、そして古き良き時代に思いを馳せると共に昔からいいと言われるものは今でもよい。先日書いた”正しく古いものは永遠に新しい”という言葉の通り、正しく古いものが今も生き残っていて、輝きを放ち続けているから、ヴィンテージで人気のある手帳は今も価値があるのだ。
とは言え現在の手帳がみなダメというと全然そんなことはなくて、アナログなものでも技術革新は当然存在する。さまざまな理由で昔の技術には失われたものもあるだろうけれど時間と共に成長したものもあるだろう。技術者のレベルというものは時代と共に積み重ねられ受け継がれ進歩していくものだ。なので古くて良いものばかりでなくて新しくて良いものにも当然目を向けたい。
昔の手帳もメリットばかりではなく、誰かが愛用していた手帳はその方の癖がどこかに残っているだろうし、傷や汚れはもちろん、匂いといった点でも新品のそれとは異なる。こういったものがイヤであれば手に入れることを検討するのはやめておいた方がいい。どんなに程度が良いものでも新品ではないのだ。誰かがつけた手帳の個性を受け継ぐ覚悟が必要だ。めっちゃ大袈裟に言えば。
古くて新しいものも、新しくて素晴らしいものも、どちらもより良いと思うものを探して手に入れて使ってみたい。