手帳の湖

手帳にまつわる自省録

紙とペンさえあればいい

手帳を使う。その時々ーーー仕事や家庭などーーー環境が変わるたびに好みが変わる。どんなものにもあわせることができるような、そんな夢のような完璧な手帳はない。ないけれど、極力その時々にあった理想の手帳を常々探している。

環境が変わるたびに考え方も変わりその都度使う手帳を変えてきたけれど、本当に何度も何度も手帳達をとっかえひっかえぐるぐる回して使ってきた。能率手帳、QUOVADIS、ほぼ日手帳ジブン手帳、fILOFAX、Letts、そしてSD手帳...

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で、結局のところ、あまり凝りに凝った手帳は不要で、大きさもコンパクトでよくって、ラフに使えるものがよい。と考えるようになって使い始めた手帳のひとつがHandyPick S。システム手帳と綴じ手帳のいいとこ取りを目指しているのかもしれないこの”システム綴じ手帳”、究極の手帳でもなければ僕にとって理想の手帳というわけでも無いけれど、気負わず気軽に使える軽量な手帳だ。本命はシステムダイアリー(SD手帳)であることに変わりはないのだけれど、ハンディピックも使いたい。思わず手に取ってしまう絶妙な使いやすさ。カバーは写真のコーナー金具付きのビニールカバーが最も具合がいい。

そして、HandyPickを使っていて思い至ったのは”結局のところ紙とペンさえあればいい”のではという感覚だ。記録して、読み返す。ただこれだけのことを創意工夫して、残し方を考える。スケジュールも忘備録も買い物リストも、ようは記録できればいいのだ。単純な話である。なので道具も使い方もシンプルでいい。そういう考えに行き着くと、マンスリーとメモページがあればあとはいらない、ぐらい機能を削ぎ落としてもいいのかも知れない。

ところがこの単純な話、趣味として嗜むにはもうちょい手を加えたくなる。そうなってくると単純なものを多少複雑にして楽しみたい。もっと分類したいし、書き心地や素材にもこだわりたい。所有欲も満たしたい、そういう矛盾したモノを詰め込むのが趣味としての手帳である。

取り止めのない文章になってきたので今日はこのへんで。紙とペンさえあればいい、と思いつつそうもならないのが手帳趣味の面白いところだな、と思う。だけれどいつかは実用性オンリーの究極のシンプル運用を実現してみたい。そう思わなくもない。