手帳の湖

手帳にまつわる自省録

宿題と手帳時間

息子の小学校が2学期に入り、夏休みの宿題から日々の宿題になり学習習慣・勉強のペースも通常運転に戻す必要があって、苦戦しているようだ。僕は理詰めで注意してしまうタイプなので夫婦で相談の上、父親はあまり注意しない、という役割整理にしているので基本的には口出ししたくなる瞬間もぐっと我慢。

学習机もあるけれど、宿題の主戦場はダイニングテーブル。家族の顔が見える状況で宿題や勉強ができる環境を選んでいる。

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ダイニングテーブルで宿題をやっている時にたまに「目の前に座ってて」とリクエストを受けることがある。聞きたい時にさっと聞ける状況にしておきたいのか、なんとなく側にいて欲しいのかはわからないが、特に僕からは話しかけずに静かに向かい合わせに座っている。

ほとんどの場合助けを求められることもなく、会話もなく宿題が終了するので、ぼーっと座っているのもなんだし、PCやスマホをずっと見てるのもなんだかイマイチなので極力この時間は手帳時間のひとつにしている。

スマホも手帳も、手元にあるものを集中して眺めることに変わりはないのに、客観的な見栄えの差はなんなんだろう。手帳を見ている時だってそこそこ集中しているのだけれど、周囲との断絶具合はスマホほどではない。集中の度合い的にはやっぱり手帳の方が緩やか(あるいはそう見える)なのだろうか。いずれにせよ子供から見ても周りから見ても、目の前でスマホを見ているのはあまりよくないけど手帳ならOKという感じに捉えられているのだろうな。「スマホばっかり見ないで」と言われることはあったとしても「手帳ばっかり見ないで」といわれることはまず、ない。

手帳時間はスケジュールの確認や思いついたことのメモ書き、ToDoリストの抜け漏れ確認をゆるーくする、といった時間になる。ちょうど良い隙間時間且つ子供と緩やかな繋がりの時間としている。