手帳の湖

手帳にまつわる自省録

私的な手帳

元来手帳というものは本来私的なものであり、人に見せるものでもないから、中身は自分の好きなように好きなことを綴り、自分で・個人として楽しむものだと考えていた。今も基本的な考え方は変わっていない。(もちろん使い方によっては家族で共有したり交換日記のように複数人で使うものもあるけど)ネットの世界が広がり、自身にのみ展開されていた手帳の中身が、望めば世界の人に向けて発信することができるのだとわかった時にはすごい時代になったよな、でも僕は中身は公開しないけどね、と思った。

今現在、中身をがっつりは公開していないものの、それに近しいことはしているので自分自身に対して隔世の感がある。時代の流れに流されてるなぁ。

自ら人様に見せる、ということはそこに見てくれる人がきっといて、見てもらうために見せているのだから、自分にとっても見る人にとってもなんらかの意味があるものを見せるべきではないかという話にもなる。果たして他人の手帳の中身は見るべき価値があるのかどうか。自分の手帳に関する情報は他人にとって価値を感じられるものになっているのかどうか。

たまーにこうやって真面目っぽく考えることもあるが、あまり想定読者を意識しすぎると立ち止まって動けなくなってしまうので考えすぎはよくない。というかそもそも深く考えるものでもないかもしれないけど。

f:id:diarylake:20220726123219j:image

というわけで今日も手帳の外側の写真だけを載せて、手帳に纏わる自省録っぽいことを呟くのだ。見てくださる誰かがちょっとした共感や面白さを感じてくれればいいなーぐらいのことを少し思いながら、その時感じたことで自分が読み返して面白いと思うことを、書く。という楽しみを楽しむのだ。

結局ひとりで楽しんでいる。想定読者は僕自身だ。手帳は楽しい。手帳ブログも、楽しい。

 

※なんとこの記事で200エントリーめ!!!!!