手帳の湖

手帳にまつわる自省録

手帳をサボる

今週のお題「サボりたいこと」

TwitterなどのSNSやWebを覗いていると「手帳をサボってる」「手帳が続かない」なんてコメントや書き込みをよく見かける。わかる。

手帳をサボるという事は大前提として手帳をサボらない状態、というものがあるはずだ。それは毎日何かを手帳に書くという習慣のことだろうか。手帳が続かない、というのは書くことが無かったりなんか書こうとしても書けない、デイリーもしくはウィークリーページが白紙になってしまう日がある、もしくはそんな日が続く事を指すのだろうか。

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いずれにしても手帳を買って、使いこなすぞ!と意気込んだもののいつしか手帳を活用する時間や機会が減ってしまって、こんなはずじゃなかったのにな〜と自分自身でギャップを感じて残念に思っている状態のことだろう。せっかく高いお金を出して買ったのに使わないなんてもったいない。紙の無駄使いに思えてくる。わかる。

さて、僕はこの状態のことを「サボっている」と捉えなくてもいいじゃない、と割と思ってる派だ。ほぼ日手帳の毎日書かなくてもいい、という考え方とほぼおなじ。人間だもの。毎日心も身体もコンディションが変わるので、手帳にめちゃくちゃ書き込みたい日もあるだろうし、手帳に触れるのもおっくうな日もある。これは全然ふつうのことで、なにも手に付かない日に手帳と向き合えない自分を追い込み必要なんてないのだ。「手帳をサボっている自分」という構図を意識する必要、なし。そもそもそういう日もある。

もしくはあえて「手帳をサボる」という言葉を使うのなら、おおいにサボってよし。サボって影響を受ける対象が自分だけなら誰にも迷惑かけないし罪悪感など感じずにサボればよろしい。長い間手帳を使ってきた僕からすると毎日続くことがそもそも奇跡的だと思う。僕は手帳歴30年程だけれど、サボり続けてここまできたのかもしれない。こうやって手帳のブログをしているけれど(手帳の中身はほぼ公開していないのでめちゃ書き込みをしていると思われている方もいらっしゃるかもしれないですが)、使い方はかなり雑というか必要な時に必要なだけ走り書きをしている程度なので、日によって書き込み量はバラバラだ。

自省録としてのブログなので今日のエントリーも結局ほぼ自分に向けて言い聞かせているだけの内容なのだけれど、肩肘貼らずにゆるく手帳をつかっているのがやっぱり長続きするコツなのだと思う。

手帳はサボってなんぼ。