手帳の湖

手帳にまつわる自省録

手帳と老眼鏡

どうも眼の老化が進んでいるようで、手元で本を読む時に眼が霞むようになってきた。手帳を見るときも本と同じ距離なのでどうにも見にくい。元々軽度の乱視なのも相まってぼんやり滲んで見える。PCやMacはもう少し離れているので大丈夫、という絶妙な距離感。車を運転するときは近視&乱視用のメガネをかけているこの距離だと役に立たない。

少し前にリーディンググラス(つまり老眼鏡)を買ってみたのだが確かにくっきり見えやすい。でも本や手帳を読んだり見たりするときにしか使わない。ここがポイントで、本を読む時は本を読む体制なので老眼鏡の準備は万全だ。手帳はそうはいかない。僕の手帳の使い方が「いつも持ち歩き、手元に置き、書きたい時にすぐに書く」だからだ。いちいちメガネを取り出すのはめんどくさい。なので結局手帳を裸眼でぼんやりと捉えることになるのだ。やっと遠近両用のメガネをかけるお年寄りの気持ちがわかってきた。僕もシニアに片足どころか両足突っ込む歳なので遠近両用メガネ検討しようかな。

小さい字が見えないのなら逆に手帳の大型化を検討するのはどうかと一瞬よぎったが、それはない。大きい手帳に大きい字で書くのは性に合っていない。過去何度も大型化と小型化を繰り返した結果の小型システム手帳という結論だし。そういえばシニア層や年配の経営者が使っておられる手帳は小型のものが多い気がする。持ち歩き手帳とデスク置き手帳を分けているケースもあるだろうけれど、街中や商談の場でも年配の方は能率手帳や高橋手帳などのビジネスの小型手帳を使っている人の方が多く見かける。これは単純に昔ながらの手帳を使っているだけなのかなとずいぶん前から思っていたが、もしかしたら小型手帳の方が持ち歩きやすいし、予定も分単位ではなくなっていくので小さい方が使いやすいのかもしれない。若い頃はビジネス手帳はおっさんの手帳でダサいから海外の手帳をスマートに使うぞ!と思っていたが実際おっさんになるとおっさん手帳も使い勝手がよいことに気付かされる。“デザイン”は見た目だけのことを指すのではないのだ。

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(ビジネス手帳の王様、能率手帳ゴールド。)

もしかすると加齢と共に重たいものを持てなくなる(持ちたくない)から持ち物も軽量化・小型化していくのは一般的なお話で、僕の“手帳は小型がいい”、という判断も加齢によるもの!?かもしれない。

視力と使いやすい手帳の大きさは反比例する説。でした。