手帳の湖

手帳にまつわる自省録

手で書くということ

キャップレスの万年筆も良さそうだなー、と思いネットでいろいろ調べていたらこんなページを見つけた。

www.1101.com

糸井重里さんと古賀史健さんの数年前の対談記事なのだが、これが面白かった。

(数年前の対談を今新鮮な気持ちで読める。ネットの世界をサルベージできる。インターネットってほんと面白いよなといつも思う。)

ほぼ日がキャップレス万年筆を出してたのを知らなかったのだけれど、このキャップレス万年筆のよさを語り合うだけにとどまらず、手書きのよさについて話し合っていて、そうだよなあ、手書きってそういうよさがあるよなあと思いながら読み耽っていた。詳しい内容はリンク先の記事をぜひ読んでいただきたい。

対談記事きっかけで手書きについてつらつらと考えてみた。

字をタイプするのと手で書く、の違いの一つは手書きはその都度その都度異なる一度きりの”字”になるということ。タイプする場合はいつも同じキーボードを叩き、決めたフォントで文字が表現される。一方、手書き文字はその時の感情やクセやいろんなものがない混ぜになって表現されるその時の”字”だ。ここに手書きの面白さがあると思っている。上記の記事の中でも「書くは描くに近い」といったような会話が出てくるが、書道家の書が絵画のような芸術であることのように、描く表現が文字を通じて手帳の中に表現できる。また字をぐるっと丸で囲んだり、横線を引いて消したり、矢印や吹き出しを追加したり、手書きはいろんな表現ができる。タイピングに比べて表現の幅が大きい。

字が上手い方では決してないので人様にあまりお見せ出来るようなものではないが、自分自身に向けた情報として、手書きの方が一文字にこめられた情報量が多い気がするのだ。

「息子が小学校に入学した」という文字もタイプされた文字と手書きでは違う。その時の嬉しさや感動した状況が文字に現れている。過去の自分に向けて「そりゃ嬉しかったよな」と声がかけられる。

手書きはほんとにいいよ。